踊ってばかりの国

 ふと気がつくと、ここ最近は邦楽、特に歌ものを多く聴いていた事に気づく。元々音楽は好きで、昔からよく聴いてきたが、自分の感覚を広げてくれるようなもの、新鮮さを強く感じさせるものを好み、ロックでもストレートなものより、音色や楽曲の凝っているもの多重録音的なものが好みだった。それは今も続いているが、最近は、そうでないものも多く聴くようになった。特に歌詞とメロディーから感じられる私小説的なシンプルな日本語の「うた」に惹かれることが多い。最近、聴いた中で、今現在、頭の中でループする曲は、この2曲。「セシウム」「東京」。どちらも「踊ってばかりの国」というバンドの楽曲。歌詞が政治的な問題に触れてはいるが、大上段に構えて、イデオロギー的になることなく、今現在、この日本という国で生きる一生活者としてのリアルな日常を描写しているような気がしてならない。ちっともハッピーではないし、音楽を通して、ここではない、どこか遠くへ連れて行ってくれる訳でもない。むしろ目の前に広がる私たちの日常の再確認を促されているようにも思う。そこに、リアリティーを感じる。歌詞には若さ特有の青臭さ、稚拙さも感じる人も多いかもしれない。だが感じた事をストレートに包み隠さず吐露する。こんな表現が、なぜか、今必要な気がしてならない。

セシウム
http://www.youtube.com/watch?v=kIBvY9vpgKc