展覧会のお知らせ

次の展覧会のお知らせです。実は、自分にとって、ちょっとこれまでとは心境的に違う展覧会なのです。展覧会の主旨としては私の高校時代の美術部の顧問をされていた鈴木吾郎氏と、その教え子であり現在も作家活動をしている方たちとの展示となります。大変、個人的なことですが高校時代の環境がやはりこうして今も美術というものに携わっていることに影響していることを強く感じています。あの時代にあの環境で美術に触れられたこと、興味を抱いたことは、その後に自分が触れ吸収していったことよりも、より強く自分の原点として振り返るものがあったのかもしれません。そうしたことを考えています。こうした意味でいろいろ感慨深い展覧会となりそうです。まあ、こんなことは私の戯言ですが、見に来られる方にとっては、ふだん道外で活動し、道内ではあまり発表していない作家も多いですので興味深い展示となると思います。ぜひお越しいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

 

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鈴木吾郎と新鋭作家展
〜時を紡いで〜

出品作家

鈴木吾郎・秋山一郎・伊勢かがり・上嶋秀俊・大原央聡・奥井 理(故人)・Kit_A・鈴木比奈子・平埜佐絵子・藤枝由美子

2019年5月18日(土)〜7月15日(月・祝)
9:30〜17:00(入館は16:30)
休館日 月曜(7月15日除く)
市立小樽美術館

主催:市立小樽美術館  共催:北海道新聞小樽支社  後援:北海道教育庁後志教育局、市立小樽美術館協力会  協力:潮陵倶楽部

ハルカヤマのこと -その2-

 ハルカヤマ・ファイナルカットがいよいよ始まった。オープニングでは、参加作家トークの場面があり「”ハルカヤマとは、何だったか?”」を題目として参加作家一人ずつ話をするなんてコーナーがあったりして、この間、ここに書いたことを含めいろんなことを思い出した。最初に場所決めをして、草刈りが大変だったこともそうだが、ここに出さなければ経験しなかったことが他にもたくさんあり、それは、やはり創作していく上で、自分にとっては、とても大きなことが沢山ある。その一つとして思い出されるのは、初の野外展示だということ。いつものようにバックが白い壁なんかでは、当然無く、バックなんてないということ。「広い空や生い茂る緑、木々の中で、作品をどのように位置づけようか?」という、とても大きな問題。というか立ちはだかる壁。絵をかける場所なんて何処にもなく、たとえあったとしても、自然の中でのフィクションとしての絵画なんて、ただの物体にしかならないだろうと思われた。普段は自然感、生命感なんて抽象的なことを制作の主題としている自分にとって、そんな作品をただ展示したところで、周囲に或る本物の自然のスケールの前では、当然負けてしまう。なにせ周囲は、紛れもない”本物”なんだから、圧倒的にこちらの方がリアリティがある。「では、どうしようか?」と試行錯誤し始めた。2回めの2013年は、スケール感のある作品を創るしかないと思い、とにかく大きな作品を作った。結果明らかに規定のサイズオーバー!当時会場部長だった自分としては反省...(ほんの少し)。そして、更に意識したのは、周りの景観。何本もの太い木々が真っ直ぐに高くそびえ立つ場所を選び、その樹木が空に向かって伸びていく様子と自分の作品がより活きるようにと場所からスケッチをし、制作を行った。ちょうど、この頃に読みはまっていた竹村真一氏の「宇宙樹」という本に、影響されていたこともあって、水のイメージを意識して題材にし始めたのもこの頃であった。そうした経験から徐々に、自然の中で展示する際に自然に対峙するのではなく、むしろ共存できる作品を制作し、空間そのものを構築したいという思いが、より強くなっていったことを記憶している。こういった経験から学べたことは、展示するときにその空間を強く意識するということに尽きる。自分が制作しているものは、たかだか物体だ。だが、その物体とその空間で、けして目には見えない空気そのものを創造できれば....そんなことを夢想している。

ハルカヤマのこと -その1-

 明日から始まるハルカヤマ藝術要塞も、いよいよ今年で終了することとなった。2011年から始まり、サテライト展示を除き隔年の開催で今回も含め計4回の開催となった。今回で最終章ということで、とても感慨深く感じている。思えば、最初参加した時は、まだ、あまり作家の知り合いも、あまり多くなく、初対面の作家さんも多かった。なにせ自分は初個展が2008年で、年齢の割に、全く活動歴が浅かったので、それも当然だった。そんな自分が参加できたのも、たまたま誘ってくれた友人が身近にいたせいであり、人との縁もとても強く感じる。初めて参加した時のことは今でも昨日のことのようにはっきりと覚えている。ゴールデンウィークの頃に会場の下見で初めて、その場所を訪れ、展示場所を決めた。廃墟のあるその土地は、過去レジャーで賑わったらしいホテルの廃墟とは対照的に生命力ある緑で生い茂り、なんとも特徴的な土地という印象を持った。中でも自分は、その会場内の栗の老木があった場所が特に気になり、展示スペースをその場所に決めた。その栗の老木はなんとも奇妙な姿をしており、その木の枝なのか根が土中より出てきたのか、さっぱりわからないが太い幹に、ぐるぐると巻きつき異様な生命力を放っていた。その木との出会いがなければ、もしかしたら現在の自分の作風にもなっている細かなパーツを沢山制作し、構成するようなスタイルも、それほどスケール感を重視したものには、なっていなかったかもしれない。その時に感じた驚きは、最初の出会いだけには終わらず、次に8月にその場を訪れた時に、更に強く感じることとなった。というのも2回めに訪れた時は、その木の周りは、ぼうぼうと生い茂る草で、その木も見つけられず、たった三ヶ月ほどで景色を一変させてしまう自然の威力に呆然とさせられた。その木にたどり着く為、そして展示スペースを設ける為、仕方なく、ほとんど経験したことのない草刈りを行ったのだが、雑草なんて言う生易しい物ではなく、とても茎の太い力強い植物がほうぼうに生い茂り、まさに格闘だった。とても時間をかけ、ようやく雑草らしき緑が減り、地面の色が見えてきて少し安心と思った矢先、自分の足が何かに引っ掛かり、つまずきそうになった。なにかと思い、それをよく見てみると、土中より木の根らしきものが出て、それがまた土の中に入っている。そうしたものが、あちらこちらにいくつも......。もしかしたら、初めに見たこの老木のまとわりついている木のようなものも、これなのだろうか?真偽は全くわからないが、異様とも感じる自然の生命力に、ただただ圧倒されたことを覚えている。この時のことが、おそらく自分の制作のテーマともなる生命感に強く影響されたのかも、と自分では思っている。

ハルカヤマ藝術要塞2017[ファイナル・カット]
期間 : 2017年6月11日(日)→6月18日(日)10:00〜17:00
場所 : 小樽 春香山麓



STAR

 昨日の突然のデビッド・ボウイの訃報からfacebookなどでは、ずっとひっきりなしに過去のボウイの偉業を称えるトピックなどが流れ続けるものの、日常はいつもと何ら変わらない空気が流れ、とても違和感を感じる。自分が好きだったミュージシャンの死で、なにか言葉を書こうと思ったのは久しぶりだ。こんなにも放置しっぱなしのブログだというのに.....。わざわざ自分が書くことでもないのだが、自分自身の個人的な整理として何か、彼の音楽や表現から感じられたことなどを書こうと思う。

 最初にデビッド・ボウイという名前を知ったのは、確か1970年台の後半、某ロック雑誌で、まだデビューして間もないジャパンのインタビュー記事、影響を受けたアーティストでボウイの名前をあげていたのが最初だったと思う。当時自分は中学一年、日常の身の回りには、けしてない匂いを持ったジャパンの音楽や佇まいに惹かれ、そんな彼らが影響されたというデビッド・ボウイという人物に初めて興味を持った。それからどれくらい後だったろうか?当時、NHKで”ヤング・ミュージック・ショー”という外国のロックのライブを紹介する番組があり、そこにデビッド・ボウイが登場した。おそらく77年頃の来日映像だろうか?今思うとHEROES,Lodger発売後のツアーだったのだろう。なで肩の美形の男から出される声が、まるで脳天に垂直に突き刺さったかのように感じた。華奢な容姿から飛び出してくる刃物のような高音。今思うと、その時のボウイの容姿は短髪だし、ジギーの頃のようには、奇抜ではないはずだが、自分の中に、存在として、何か大きな違和感のようなものが残った感じがした。その頃から、興味を持ち、雑誌や本、ラジオ、レコードといろいろと彼にまつわるメディアを貪るように求め始めたように思う。
 そうして、音楽は当然だが、彼が表現する世界観や活動に、とても強く魅せられていった。表面的には、アルバムごとに極端に変化するサウンドプロダクションやビジュアル。さらに本人の人格さえも入れ替わったかのように感じさせる変わり身の速さ。そうした事柄に通底するのは、はっきりとしたコンセプトだった。ただ、通常であればコンセプトを重視しても、これほどまでの変化はないであろうが、いつも変わり続けた。この点が他のミュージシャンとは大きく異なる点であり、ボウイ自身が過去にインタビューで答えていたように「音楽はアートフォームの一つ」といった考えに基づいて、サウンドのみならず、自分自身さえもキャラクターとして、まるで遠くの星から客観的に眺めるように作り続けたのかもしれない。また、その創作過程で、特に惹かれるのは、好奇心の極端な強さと、それを貪欲に取り入れ、かつ「デビッド・ボウイ」という入れ物の中で、あらゆる素材と混合させることによって生み出されるダイナミックな化学変化だ。知性と感性に裏打ちされた素晴らしい編集能力、それこそがボウイの個性であったように思う。ボウイが創りだした”ジギースターダスト”というキャラクターも当時インタビューで、カルト的な頭のいかれたロックスター、虚像と実像が混在してしまった実在する人物などもベースにしていたなんて発言があった。批評性や実験性をもとに作られる奇妙なリアリティ。そうして残された作品に感銘を受けたファンが、僕を含め、やはり多いのだと思う。また、人を食ったような驚く発言も70年代には多く残したようだった。有名なバイセクシャル発言だけでなく、自分がよく覚えているのは「ロックは最高のファシズムだ」確かそんな発言を本で読んだことがある。批評性の中から物事を生み出していくなんて、今では、よくあることかもしれないが、こんなことを言い放ち、それをとてつもない規模で、それを形にしていった人は他に知らない。
 ボウイが他界してしまい、やはり一つの時代は完全に終わってしまったように思う。それは、自分が感じてきたロック感かもしれないし、具体的には虚構を感じさせるポップアイコンの不在かもしれない。それらに付随するシアトリカルな佇まいのパフォーマンスも、確かに前時代的ではある。”大きな物語”が亡くなってしまった今、より”日常的な小さな物語”が生み出されるようになって久しい。だが、僕達は、今後音楽に触れて、再びワクワクしたり、ドキドキしたりするなんてことは、できるのであろうか?
 彼の他界で、そんなことを強く思っている。

ことば

 最近、なにかと制作や作品について、文章化する機会が多い。ことばで考える作業は、一度、自分のしている行いを客観的に顧みる作業でもある。だが、自作について自分で語るというのも、ことばによって存在が限定されてしまうようで、拒みたい自分も存在する。ことばは、いつも真実と嘘を同時にはらんでいるように感じるからかもしれない。


(制作に関する記述 / 2015年2月18日)

  想像することとは、時に見知らぬ景色に偶然出会うこと。
意識していなかった何かに、世界の中のどこかにある何かに、ほんの少し触れること。
そんな事があるのが、想像することだと思う。

私の作品は全て想像することから始まる。
想像するとは、言っても必ずしも脳だけでイメージする訳ではない。
心を静かに手を動かし、もうろうと記憶の中の何処かをさまよう。
ほんのりと視界が開けて来た方向へ、また手を動かす。

意識下の記憶に触れるように探る行為。
知らない何かに出会いを求め、記憶の奥をさまよう。
既視感のある日常の奥に潜むもの。
生命の姿に出会いたい。
それは、どんな形と色なのだろう。
未だ見たことが無いものを探す旅。

そして、一瞬、見えてきたものを記録し、残しておく。
ただし、それは四角くフレーミングされた絵画ではなく、さらにそこから、生まれるように、
フレームという「制度」「規則」から自由に解き放つため、
枠の中から、外の世界に。

想像することからドローイングへ、描いたものは、四角い紙の中。
紙やキャンバスという枠の中に収まっているものは、その枠から内側だけが”フィクション”であるという”ルール”がある。
だが、ほんの少しだけ、私たちの現実とフィクションの間の境界線を曖昧にしたい。
想像したことが、本当に私たちの前に現れたように。
そうした願いで、私は創作し、過去を顧みながら現在へと形にしていく。



2015

 いつも通り、こちらを放置していましたら、年も開けていましたね。新年の抱負やらを述べてみたいところですが、何だかニュースなどを日々見たり、世の動きに想いを馳せていると、今年は、どんな年になるやら?と、良くない想いが脳裏をよぎること、しばしば..................。しかし、想いは形になる、と勝手に私は妄信していますので、良くない方へと、あまり考えないように己を自戒しつつ日々は過ぎています。
 そんな事を書いてはいますが、相変わらず出かけてみたり制作したりといった日常は、何ら変わらず、今日という日が過ぎていきます。今年も出かけて来ました。『金沢」20代のときに訪れ、今回は2回目。一度行ってみたかった「金沢21世紀美術館」素晴らしい建築。写真だと分かりにくいですが円形になっていて、外側の通路部分は、美術館の展示室が閉館後もは自由に入ることができ、ライブラリーの利用やミュージアムショップの利用なんかも可能でした。それだけでなく、常設の作品も夜も朝も、無料で見ることが出来ます。そんなこともあってか、広く市民に開かれた美術館と言った印象が強かったです。何より建築の構造がそれを表している感じがしました。









ことば

 自分にとっては、とても長い会期でした本郷新記念札幌彫刻美術館での展示「Our Place」が一昨日、無事、終了いたしました。会場まで足を運んでいただいた皆様、ありがとうございます。また、このような機会を与えていただいた美術館の皆様、様々な場面で本当にお世話になりましたことを深く感謝申し上げたい気持ちです。展覧会全体のテーマにそった展示という部分で、大変勉強になりました。一作家として行っている制作は、「ことば」では、表せないものを表現したいと思っていますが、けして、「ことば」なくして表現も難しいのでは、と思わされます。人は「ことば」で思考します。制作する時も、手で考え、模索もしますが、その方向性を決めるのは、何か「ことば」のようなものかもしれません。ことばによって限定したりするわけではありませんが、それを介して、より、鑑賞される方とのコミュニケーションがはかられるものであればと思いました。

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