silent breath

 現在、以下の展示を行っています。「びょういんあーとぷろじぇくと」の企画展示は、2回目となります。今回も場所はライラック病院です。
 たまに、「びょういんあーと って、どういう活動なの?」または、「どうして、そこに参加して展示してるの?」といったご質問を受けることがありますが、自分としては、凄く単純な動機でもあって、作品は、特に美術に興味を持っている方々だけでなく、そうでない方にも多く見てもらいたいと願っているということ。そして、もう一つは、展示することや制作することは、特定の誰かの為や、現実的な目的があってしていることでは、ないけれども、自分の作品が誰かの生活環境の一部となり、無意識ではあっても、もし、そこから何か、ふと感じてもらえることがあれば、そんな気持ちで行っています。「びょういんあーと」の活動自体は、私もまだまだ不勉強で、はっきりお答えできないですが「アートとケア」という目には見えない問題に注目した活動でもあります。以下のHPを参照していただけたら幸いです。

びょういんあーとWEB
http://www.hinoma.com/hospitalart/

また、今回の展示に際しまして、蓮見 孝氏 札幌市立大学(理事長・学長)、おだこうじ氏(緩和ケア医/一級建築士)のお二人に、素晴らしい文章を寄稿していただきましたことに深く感謝しております。
展示場所は、病院ロビーとなりますが、患者さんでなくとも、そちらには入場可能です。もし、お近くにお越しの際に、寄っていただければ幸いです。


びょういんあ〜とぷろじぇくと
「silent breath」上嶋秀俊展

会期 : 2014年9月1日(月)〜2015年3月31日(火)
    12:00〜18:00
会場 : 札幌ライラック病院1F 待合室
札幌市豊平区豊平6条8丁目2番18号
地下鉄東豊線学園前駅」下車2番出口より徒歩2分 学園前駅
(2番出口)

主催 : びょういんあーとぷろじぇくと
共催 : 医療法人北志会札幌ライラック病院
後援 : 札幌市、札幌市教育委員会 
NPO法人市民と共に創るホスピスケアの会

規定

 当たり前なんだけど、「自由」を要求されてるような美術にも、「規定」や「制約」ってものがあったりする。その展覧会によって違うけど、場所に展示するのだから当たり前と言えば当たり前のことかもしれない。先月、自分のところに、”白くかたどったサカナの干物”が送られてきた。「その干物に自由にペイントして下さい」というのが今回の「規定」。
 通常の規定と言えば、せいぜい作品サイズや素材くらい。だが、今度は形そのもの。ふだんは、形を考え、制作している自分としては、これはいかがなものか.......。規定の中で自分らしさを出すには、一つは形そのものを自分に引き寄せ、何か付け加えて変化させるという方法もある。だが、ぼんやりと、真っ白な干物を見ていると、その形体に引き寄せら、その形から連想されるままに、引きずられるようにペイントしていった。
 結果、なんか久しぶりに自由に制作できた感じ。「規定」が強い方が、頭の中を自由にできるってのも、なんか不思議。たまに、こういう展覧会が過去にもいくつかあったけど、制約があるって意外と新鮮。他の作家さんの干物も楽しみ。


小名浜国際環境芸術祭「ヒモノアート展2014」
会期:9月20日(土)〜11月9日(日)
会場:アクアマリンふくしま

篠山紀信展


 篠山紀信展『写真力』を見に行く。氏の写真展を見に行ったのは、これで二度目。前回は、もうかれこれ20年以上前、確か東京を舞台にしたヌード写真だったと思う。タイトルは、もう忘れてしまったが..。その時の展示で覚えているのは、とにかく写真のスケール感。とても大きく、見るものを圧倒させる力がみなぎっている感じだった。それは、今回の『写真力』も同じ。会場の最初の展示室に入ると、今は亡き、著名人、三島由紀夫大原麗子夏目雅子勝新太郎などの、とても大きなポートレイトのみが暗く広い空間に浮かび上がるように展示されていた。とても大きくプリントされた写真に写るポートレイトは、どの顔も生き生きと、今そこに存在するかのように、手を伸ばすと触れることが出来るような錯覚に陥る。まるで写真であるという前提が見えないように。見えたものが映るのが写真ではあるが、それぞれ被写体となった人物のある一瞬なのだろう。今は亡き人物たちであることが不思議に思うほど、どの写真にも生命が宿っているように感じられた。ここの展示室のタイトルは「GOD」そして、次の展示室のタイトルは、芸能人などのグラビアなど、よく知られた写真も多く並ぶ「STAR」その後、歌舞伎、ディズニーランドなど虚構の舞台をパノラマ写真で見せる「SPECTACLE」人間の肉体にる「BODY」と続く。ここまでは、今まで私たちが目にしてきた、篠山紀信という写真家の代表的とも言える写真の数々。様々な時代を写真家として、鋭いまなざしで切り取り、撮影された写真。そうして生まれたポップアイコンのような写真そのものが時代を創ってきたとも言えるかもしれない。そのどれもが、写真家としての力量を強く感じさせ、見るものを圧倒させるようなものであった。そして、いよいよ最後の展示室。ここのタイトルはとなるのが「ACCIDENTS」ここの展示室の被写体は、著名人芸能人ではなく2011年の震災直後に気仙沼にいた一般の人々。写真としての作風も被写体の人物と一人ずつ対峙して撮られたようなドキュメンタリー。この大きな変化は、やはり震災が大きく影響しているのであろうが、何だか最初の展示室と同じような感覚が感じられた。こちらを真直ぐ見据えた人物は、誰もが、今にも語りだしそうな.声が聞こえてきそうな気配に満ちていた。とても、静かに、ゆっくりと。

Our Place

 本郷新彫刻美術館での展覧会「Our Place」先週の土曜日から始まっています。私としては、2014年の制作ラッシュも、少しこれで一段落。ようやく、じっくりと時間をかけて制作の方向性を模索するなど、充電期間に入れそうです。今回の展覧会は長く、9月まで開かれています。展覧会の内容は下記の通り、作家の人選も、なかなか普段は、つながらないような感じもしますが、そこがまた面白い展覧会になっていると思います。見に行かれた方、ご遠慮なく、ご感想など頂けると大変嬉しいです。宜しくお願いします。

札幌国際芸術祭2014連携事業 New Eyes 2014「Our Place〜歩く・感じる・考える、私たちの生きる場所」

New Eyes(ニュー・アイズ)」は、我々をとりまく世界に対する作家たちの新鮮なまなざしを、今日的テーマのもとに紹介するシリーズ展です。
第2回となる今回は、自らの生きる場所(自然環境、文化、歴史)を深く見つめ、制作を行う北海道在住の6作家が、 それぞれの「Our Place(アワー・プレイス)=私たちの場所」を表現します。
また、札幌に生まれ、北海道に数多くのモニュメントを残した本郷新の作品もあわせて展示し、本郷のとらえた Our Place にも今あらためて注目します。
美術館を訪れる方が彼らの作品にふれ、ふたたび自らの生きる場所を歩き、感じ、考えるための展覧会です。

場所 : 本郷新記念札幌彫刻美術館
〒064-0954 札幌市中央区 宮の森4条12丁目
http://www.hongoshin-smos.jp/
会期: 2014年6月7日(土)〜9月28日(日)
10:00〜17:00(入館は16:30まで)
★7/26(土)は19:00まで開館(入館は18:30まで)
休館日: 月曜日
※ただし7/21(月)9/15(月)は開館し、7/22(火)9/16(火)は休館
観覧料: 一般 500(400)円 / 65歳以上 400(320)円
高大生 300(250)円 / 中学生以下無料

※( )内は10名以上の団体料金

★6/29(日)はサンクスデーにつき入館無料
出品作家 : 上嶋秀俊 / 小助川裕康 / 坂巻正美 / 進藤冬華 / 藤田真理 / 山本祐歳

個展終了

 先月30日に一ヶ月ありました六花亭での個展が無事終了しました。札幌中心部より離れているにも関わらず、足を運んでいただいた皆様、本当に有り難うございました。今回の展示で、たくさんの方々より、ご好意の感想を頂けたこと、喜んでいただいたことに、心より嬉しく感じています。今回の展示にあたって、これまで以上に展示空間などの条件を考慮に入れ制作しました。特に私の作品は、展示して初めて完成するものでもあり、展示場所がとても重要になりますので、以前からそうしたことは、意識してきたつもりなのですが、今回は通常のギャラリー空間ではなく、喫茶店もかねている空間だということ。そして、そこを訪れるお客様もギャラリー目当ての方ばかりではないことから、そこでお茶をしてくつろげる空間でなくけはならない、といったことも意識しました。結果、全体の色調や作り出した形体にも、それが現れていたと思います。もしかしたら、そうした意識というのは、芸術、美術的なスタンスではなく、むしろ条件から目的を持って考えるデザイン的なスタンスなのでは?と、少し思ったりもしますが、例えそうであっても、自分というフィルターを通して、「人に何かを伝える」ということ、伝えることを意識するということは自分にとって重要であると認識しています。概念としての美術、表現活動といったものは、自己表現的な側面、自己というものに重きを置いた分野のような気がしますが、自分としては、「自己」というのも、確固たるもの、はっきりと限定されたものではなく、流動的で、時間の流れや環境によって変化し、その中でうっすらと現れる、そんな半透明なものなのでは、と思っています。「美術とは、アートとは、何を望まれているのか?」そのような問いに対する答えは、本当に様々で、すぐに出てくるものではありませんが、その度に、自問自答を繰り返し、制作していくほかないのでしょう。現在も次の展示に向け制作しています。詳細は後日お知らせします。いつも異常に理屈っぽい、このようなブログを読んでいただいてありがとうございます。もっと楽しいお話をかければ良いのですが...............。



bloom

 とても長かった冬が終わり、ようやく春めいてきました。皆様いかがお過ごしでしょうか?
さて、4月1日より、久しぶりの個展をさせていただく運びとなりました。お近くにお越しの際、お立ち寄り下さいましたら幸いです。

上嶋秀俊 bloom
六花ファイル第4期収録作家作品展

日時:4月1日(火) - 4月30日(水)  時間11:00〜17:30(最終日17:00)
場所:六花亭 福住店/2階喫茶室
   札幌市豊平区福住2条5丁目1

踊ってばかりの国

 ふと気がつくと、ここ最近は邦楽、特に歌ものを多く聴いていた事に気づく。元々音楽は好きで、昔からよく聴いてきたが、自分の感覚を広げてくれるようなもの、新鮮さを強く感じさせるものを好み、ロックでもストレートなものより、音色や楽曲の凝っているもの多重録音的なものが好みだった。それは今も続いているが、最近は、そうでないものも多く聴くようになった。特に歌詞とメロディーから感じられる私小説的なシンプルな日本語の「うた」に惹かれることが多い。最近、聴いた中で、今現在、頭の中でループする曲は、この2曲。「セシウム」「東京」。どちらも「踊ってばかりの国」というバンドの楽曲。歌詞が政治的な問題に触れてはいるが、大上段に構えて、イデオロギー的になることなく、今現在、この日本という国で生きる一生活者としてのリアルな日常を描写しているような気がしてならない。ちっともハッピーではないし、音楽を通して、ここではない、どこか遠くへ連れて行ってくれる訳でもない。むしろ目の前に広がる私たちの日常の再確認を促されているようにも思う。そこに、リアリティーを感じる。歌詞には若さ特有の青臭さ、稚拙さも感じる人も多いかもしれない。だが感じた事をストレートに包み隠さず吐露する。こんな表現が、なぜか、今必要な気がしてならない。

セシウム
http://www.youtube.com/watch?v=kIBvY9vpgKc