ポップの行方

UES2009-01-27

 1月は正月休みなどがあった事もあり、旧友と会い、久しぶりにゆっくり話す機会があった。そんな中で同世代の友とは今の時代について同じ感慨を抱いている事にも気づかされた。
 私の世代はユースカルチャーとサブカルチャーが混沌とした80年代に青春期を送った。この時代は数年前、元有頂天のケラリーノ・サンドロヴィッチ氏監督が「1980」という映画の中で描いていたように新しい時代の幕開けの象徴でもあったテクノポップ・ムーブメントと横浜銀蝿に象徴される、つっぱりブームそれと、コテコテの絵に描いたようなアイドル、ジャニーズのたのきんトリオなんかが同じ時間軸の中に混在していた。テクノカットYMOファンと今でいうと気志團のような髪型の男が同じクラスで肩を並べるような、そんな時代であった。だがそれらの人種も、きちんとした住み分けなど無くテレビ的な単一メディアの中で並列に共存していたと感じている。これらのポップカルチャーのスタイルは、どんどん差異化が進みあらゆるポップスターを多く輩出したのも、この時代の特徴でもあったように思う。私自身、過去、ポップ中毒であったとも思う程、ポップスターに首ったけであった。ここで言う「ポップ」というのは主にポップミュージックをさすが、それは音楽だけではない。その音楽の作り手であるミュージシャンの音楽に対するスタンス、指向性そして、イメージ戦略としての「意匠/ビジュアル・スタイル」でパッケージ化され始めて「ポップ」となりうる。これは、いわば思春期の迷える子羊に向けた「アイデンティティのプレゼンテーション』であったとも個人的には思っている。何故、素材のままの音楽ではなく、パッケージ化された「ポップ」にこだわるかと言うと、これは、もう、こういう時代に育ってしまったので、仕方が無いと言いたいところだが、やはりポップ化され初めて、情報発信地、作り手であるアーティストからメディアを通して田舎の高校生にまで、すてきなプレゼントが届くのだ。どこ迄も同じ風景と同じ日常が延々と続くような辺境の地で毎日に辟易としながら青春期を送る者にとっては、このような『素敵な非日常」のプレゼントは、これはもう、マジックとしか言いようがなかった。こう感じていたのは何も私個人だけでなく日本中至るところにいたことは間違いないだろう。今思うと非常に幸福なポップカルチャーのコミュニケーションであったと感じる。
 非常に前置きが長くなったが、このような同じ時代を過ごした旧友と現在の文化状況についての話になり、情報メディアの発達と共に産まれた80年代のカルチャー産業と現代のカルチャー産業に落差を強く感じるという点で一致し話をした。現代では小さなポップは数あれど、どれも匿名的な存在であり、重量感の欠いた印象は拭えない。こういった印象を感じる背景には、様々な事が要因としてあるのであろう。私の青春期の80年代は、もう20年以上前、時代背景が今と当然違う。当時のメディアは、せいぜい雑誌、テレビ。これらの媒体というのは一方的に大衆は情報を享受する側であり、発信者と受け取る側の境界線は、きっちりと引かれていた。インターネットなどで相互のコミュニケーション(とい得るかどうかは疑問であるが....)、誰もが発信者ともなり得る現在のメディア状況とは、全く違う時代であった。またメディアの数、ポップミュージックで言えば、売り出されるミュージシャン、バンドなどの数も今よりずっと限られており、皆、同じものを見て過ごしていたように感じる。家族でテレビを皆で囲んで見ていたような感じであろうか。カルチャーは明らかにメディア主導であり、インディペンデントなる語も80年代後期迄生まれる事もなかった。そうした状況で産まれたカルチャーは自ずと市場原理に基づき商品として幾人もの手を通じて作り込まれて産み落とされたのでしょう。今思うと、日本で生まれたアイドル産業というのは、こうした意味で象徴的であると同時に90年以降特に下降していく状況というのは非常に納得のいく現象と言えるでしょう。80年代以降、ロック産業では偶像的なポップスターへの反動を強く感じさせたミュージシャンが多く登場した。普段着でうつむき加減にステージに立つロックミュージシャン。中でもグランジと呼ばれたジャンルはファッション用語としても定着したがサウンドはラウドでノイジーなギターロック。ビジュアルは普段着と呼ばれる以上に汚れた服装。中にはパジャマ姿でメディア露出していた者もあり印象的であった。こうしてアンチ偶像といった姿勢で非日常という世界観をあえてパッケージングしない方法で表された普段着ロックは、その後も現在迄続くこととなった。それと忘れてはならないのはダンスミュージックの隆盛。ハウス、テクノ、ドラムンベース、2ステップとジャンルを示す用語は次々と産まれ、それと同時に変名にて活動するDJも多く、流通するレコード、CDの数も膨大な数といった印象を持った。そうして、いったいどのレコード、CDが誰のモノなのか、およそ見当がつかない程、匿名性の強いものとなった。それは逆にいうと表現者が、どんな人である、とか。メッセージがどうとか。イメージがどうとか、そんな事ではなく、ただ、ここに存在する「音そのもの」によって善し悪しが判断される純粋に音楽的な価値観も生み出す事ができたのかもしれない。ただ、ダンスミュージックはどんどんと細分化し、聞きたい人、あらかじめ、その存在を知っている人には届くが、聞きたいとあまり感じない人、まだ知らない人には、ずっと届く事がないであろう状況を生み出し、その市場は限られた範囲の市場にて展開されている印象を感じる。こうした従来のプロモーション、雑誌媒体などをあまり通さない流通システムはおそらく、昔と違って日本国内のみに市場を限定しないということ。インターネットの普及も手伝い海外も視野にいれての市場獲得となっていることなのかもしれない。また、それ以外の従来通りのポップミュージックは、その数が量産され、作り込まれない小さなポップが次々と産まれては消費され続けているように感じる。こういった現在の、音楽産業の状況は他の文化状況にもいえる事であろう。どこもかしこも小さなコミューンに閉じ込められてはいないか?私たちは何か大きな物語を喪失してしまったような感覚を抱いてしまっていないだろうか?こうした状況で新たな「ポップ」が、再び産まれる日は訪れるのであろうか?あまりにも商業ベースの強いポップの功罪は確かに大きい。だが、それによって動かされる時代の変化は更に大きいものだったはずだ。もう、過去に引き返す事は誰にもできない。まるで出口が見つからないような事を自分は感じるが、今には今の状況というものがあり、このような時代も、過去の自分が、そうであったように「ポップ」を偶像とした「非日常の提示」を待ち望んでいる人々がいる。彼らは現在の状況の中で私には分からない方法で、何かによって導かれ、きっと将来、何かを生み出していってくれる事だろう。私たちがここではない何処かを夢見る事ができる限り。私は、ただ「ポップの行方」を祈りたい。