大人になりましょう

 先月、高校時代の親友と本当に久しぶりにゆっくり話をした。私の仕事の依頼で、彼の職業である大学准教授の仕事、主に専門の生物学の研究者としてのインタビューを行うのが目的であった。そのインタビューの中で、「どうして生物学の道に進んだか?」「今の子どもに向けて何かメッセージを?」という設問があった。その中で彼は、こう答えてくれた。「中学生の頃、美術と理科の授業が好きだった。どちらも好きだったが。美術はご飯が食べていけないから、理科にした。」「子どもの時から、結局食べていけるってことが大事だと思っていた。」メッセージとして「人生は競争です。みんな一緒なんかではありません。人は様々な場所での戦い方というのがあります。その中で、人と違うモノを提示できるかが競争の勝負の鍵になる事もあります。」「好きだと思った事はとことん迄やるべきです。中途半端なことでは、そんな事は誰でもできます。誰でもできる事では、ご飯は食べていけません。」

 こんなに子どもに対して厳しい大人は、いません。
ただただ、私は最初、絶句でしたが、これを読んだ皆さんは、どう思われるのでしょう?
 確かに厳しいですが、間違っていません。これが現実です。我々は、この中で戦っています。夢や憧れは大切ですが、それだけでは、どうする事もできません。その事を彼は伝えたかったのかもしれないと思っています。

 彼と僕は昔からの親友ですが、相反するものと少しだけの共通点を持っていました。パッと身や考え方は対照的です。僕をご存知の方は、すぐ分かってもらえると思いますが、僕の基本的な性質は感性主導の行動が多く、未来の選択に関しても途中経過で悩むものの、結局は夢や憧れという幻想に引っ張られて歩みました。ご飯が食べれるとか生活するとか、そう言う事は現実なんだけど自分の事ではないかのような感覚も持っていた現実感の希薄な青春期を送ったような気がしています。それに対し、彼は非常に理性的で、きちんとした現実認識の上に行動し、その方法を冷静に考え、絶えず努力し続けた人でもあります。そうした努力の結果が今の彼の職業でもあり、研究者として戦い続けている現在につながっている事を強く感じました。
 そうした彼も根本的には学問や文化へのロマンが原動力なのです。僕と彼は、ここ一点のみでようやくつながっています。インタビュー後、昔話に花が咲き、お互い、相手の特徴的な言動を良く覚えていて笑えました。そうした中から昔の彼と今の彼がつながっている事を強く感じられたのです。

 今は私も現実の中を生きています。誰もがそうであるように。彼も生きています。彼の言葉から感じられたのは、中途半端な生き方ではなく全てに対する覚悟のような強さです。ロマンを求めて戦うのでしょう。何かを諦めたり捨てたりせずに、大事なものを抱えたまま戦う姿は本当の意味で「大人」です。
「大人になりましょう」