地域とアート(その二)

 以前、学生時代の級友に会った時に聞いた話だ。彼は現在、環境デザインを中心に仕事をしている人で、光のアート作品等も手がけている。そんな彼の元に、とある地方に位置する人口の少ない小さな町から仕事が舞い込んだようだ。その内容は、「夏にお祭りがあり、その祭りをもっと活性化させたい。アート等で演出してもらえたら」といった内容だったようだ。そこで彼は自分の作品を会場に設置したそうだが、彼の中では、何か、すっきりしないものがわだかまりとして残ったようだ。それは、はたして、その地域の昔ながらあるお祭りに演出として、外部から、「アート」そういったものを持ち込む事により、華やかな演出はされるかもしれないが、本来、そういった外部の洗練されたものが本当に必要なのか?そうしたところで、その土地特有の「魅力ある祭り」として残っていくだろうか?そんな疑問を持ったそうだ。町の人々は、自分たちの土地にないものを望み、彼に相談したのだろう、だが彼自身は、そこで、感じ思った事が多々あったようだ。
 以降、次の年より、自身の作品を設置するといったモノではなく、もっとお祭りが、その土地に根づくようにと、根本的な部分から深く関わり、お祭り全体の演出に携わり、アート的な部分も、その演出に必要な部分に、寄り添うようなかたちで残し、実際の制作に関わる部分も、なるべく、その土地の子どもたちに参加してもらう等、町全体で作るお祭りへの演出を心がけたということだ。
 
 自分にとってはとても感慨深い話だった。『アート』と呼ばれる作品は、本来、一つの独立したもので、分かりきった事だが、何かの飾り等ではない。『アート』が何かに招かれ、そこで出会いがあれば、そこで、色々な関わり方というものがあるだろう。だが、この話で感じた事は『アート』がどうの〜なんて、我を張って大上段に構えた姿勢ではなく、あくまでも、「町の活性」という依頼を受けての一人の人としての誠実で柔軟な姿勢だ。モノづくりに関わるアーティストとして、彼自身に出来ることを探った結果なのかもしれない。「お祭り」がアート作品として残らなくとも、これは、「生きているアート」なのだろうなと思う。