あれから一年

 明日で、昨年の東北大震災から一年になる。お正月等のめでたい行事なんかじゃないのに、一年間という期間を強く意識されてしまう。この一年間をわたし達日本人は、本当は、どんな気持ちで過ごしたんだろう?いつもと変わらない表情で、いつものように私の身の回りでは人々が仕事をし、生活していたように見える。眼に見える世界では。でも、本当はどうなんだろう?決して今まで通りじゃなかったはずだ。自分にとっては、いろんなことを考えさせられた。いろんなことを当たり前と思っていたことの愚かさ。命の尊さ。日本という国に生まれた自分。そこで培われたアイデンティティ。そして、人間は、社会とは、どうあるべきなのだろうか?国の発展、科学の発達。豊かな国づくり。美しい謳い文句と誰もが否定しない、正しさを纏った価値観。そうしたものの末路が、人間の英知で出来たはずの原発事故だったのでは......。自分には、そう思えてならない......。
原発などのエネルギー問題だけでなく、「貨幣」という存在に翻弄される経済状況と誰かの為の社会のシステム.....。そうしたものも、もう限界が来ているように見えてしまう。アメリカという国を見ていると。わたし達の国、日本は敗戦国として、戦後、ライフスタイルや文化を輸入し続けた。「欧米」からの商品、文化や思想でさえも、まるでブランド品のようにありがたがり、それらを吸収し、欧米に近づくことこそ、国の発展。国民の幸福。少なくとも私の若い頃は、そんな機運があったと思われる。だが、ここに来て、もう、未来はそんな楽天的な価値観では成立しない現実に、ぶつかってしまったのでは、ないか。
 TVをつけると震災の特集が多く。いたる場面で「復興」ということばが聞こえてくる。被災地は、本当に早くに復興し、本当の意味での活気ある町と、早くなっていって欲しい。眼に見える世界では。
しかし、わたし達の生きる世界は「復興」であってはならないと思う。今まで来た道を辿り、今迄の姿に戻すのではなく、根本的な社会の在り方を見つめ直し、人としての価値観についても大きな変化を望む。わたし達人間が、本当の意味で人間らしく生きていけるように、世界と共生していけるように。「変容」していかなければならないと思う。