「かまってちゃん」とリアリズム


神聖かまってちゃん」の「ロックンロールは鳴り止まない」って曲を聴いた。ロックとして特に何かが目新しく斬新な楽曲ではない。だが、この曲を聴いて、彼らの虜になった人間は多く、私もその一人。10代の切なさと焦燥感の固まりのような、この曲に引かれた人の多くは、20代前半くらいの若い人なんだろうなと.勝手に予測する。だが私は、もう40半ばになるオッサンだ。「どうかしてる」とも、我ながら思うし、旧友にも、呆れられてる感じだが、なんか、来ちゃうものは拒めない。感じちゃうものは、それだけでイイ。彼らに付随する情報には「渋谷の駅前で路上ライブをし、交番に連れて行かれて説教されている模様を中継して、ニコ動にアップした.....」とか「引きこもりだった」なんて、ものがある。それに加えて秋葉っぽいルックスと「ニート感」たっぷりのイメージ。注目されるに十分。それとネットを駆使して話題になり火がついたという、メディアへの戦略的とも抗戦的ともとれる姿勢に「パンク」を読み取る人も多い。確かに自分のような世代にとっては、「パンク」を感じるって言う説がよくわかる。イギリスの不況時に現れた「sex pistols」。当時の若者は職も金もなく伝統的な階級社会の中で身動きが取れなかったという。そんな中で、絶望と不満と政治批判を交えて「ポップな破壊」としてのロックをぶちまけた。そんな姿とオーバーラップするものが『かまってちゃん』にはある。それは今の日本の抱える閉塞感。経済的にも行き詰り、若者の就業率も悪く、派遣等の非正規労働者ばかりである事への環境、時代の共通項。それと、そんな「未来の見えない世界」の中で生きている姿であり、そこから、不器用で、無鉄砲な、音と声により放たれた「ロック」という武器で、『今』生まれる『リアリズム』である。
 ここから、強く思う事は「今を生きるということ」 だが、「今」の中にも、様々な立場や環境が存在し、人によって「今」は一つ一つ違う。誰にも共感を感じさせるような共通言語的な『今』を背負ってしまう人が世には存在する。本人にとって、それは幸か不幸か分からないが、それらを表現としてリアルに表したモノが多くの人に届くんだろうなと思う。

神聖かまってちゃん / ロックンロールは鳴り止まない」
http://www.youtube.com/watch?v=U5M9v0nrl0c
神聖かまってちゃん / いかれたニート
http://www.youtube.com/watch?v=WYGxgYKwBuY