『写真』



 先日、森山大道氏のスライド&トークショーを見に行った。そこで印象的であったのは、当たり前の事であるが、氏が「街」に心惹かれ続けてきた写真家であるということだった。こんなことを何度も述べていたように思う。「時代と共に街の風俗や表象は変化するが、人間の生活や欲望によって街は生き続ける。」「写真の特性は記録性であり、アートだとは思わないが、街はアートだと思う。」「映画や美術館で見るアートより、街でお姉ちゃんが動いてる方がずっと面白い。」
 「現実」という対象が一番の関心事である云々の数々の発言に写真家らしさを強く感じた。表現者といわれる中にも色々なジャンルがある。「ミュージシャン」「映画監督」「作家」「美術家」.....。それらと「写真家」との大きな違いは、何か?写真家以外は、皆、フィクションを創出するという事であろう。では写真にフィクション性は皆無なのか?いや、そうではない。「現実」を記録するメディアである事は確かだが、撮影者の目というフィルターを通して写った現実が定着され、時には撮影者の意図によって、やらせも可能であり、現実の中の「真実」が写るとも限らない。よって、物質として表された写真には「主観」と「客観」の入り交じった現実が写っているのだと思う。写真家という人々は創造されたフィクションより生身の現実に表現の核を見いだしている事を強く感じた1時間であった。

 それにしても、氏の発言に何度も出てきた「アート」?日常的にもよく使われる。この「アート」この言葉の意味というのは全く曖昧なものとして使われているように感じる。

「アートとは何ぞや?」
そんなに簡単に答えが出る事ではないとわかっているが..........。