まちの記憶

 先日、旧友に5.6年ぶりに再会した。地元で再会したのだが、彼女は現在、東京在住。多くの人がそうであるように、彼女もまた、職等を求め、この地から都市部へと移住した一人。久しぶりに訪れた、この街が、どんどん廃れていくことに切なく感じているようだ。自分が育った土地、空気、そういったものは人の形成にも何らかの影響はあると思う。自分自身を顧みてもそれは強く感じる。この土地は、明治、大正時代に建てられた古い建造物、旧家、蔵等の趣のある町並みで有名なまち。そうしたものが、まだ若かった自分にとっては当たり前に存在する光景であったが、この地を一度離れて、はじめて、そうした街の魅力が分かった気がする。何より自分の中が、それを土地を空気を欲することに気がついた。
 この街の財産というのは、歴史的建造物である。というのは市役所ばかりでなく、一般の市民も多く口にしている「ことば」
だが、現実には、多くの古い家、建物が壊され始めている。実際には維持費の問題等、切実なものが関係していると思われるが、次々と壊されていく光景は、本当に寂しい。過去の街の記憶はわたし達の中に記憶されているが、建物が壊され、野ざらしとなった、この地に「まちの記憶」は宿っているのであろうか?